高知県とウサギとわたし

~ペットホスピスをつくります~

手をさしのべすぎる都会は、自分で考える力を奪う

 

高知県から仕事とはいえ、本を10冊以上持ち歩いている、世を忍ぶ姿はかっぱバックパッカーズの女将、本当の姿はもふもふペットヘルパーのまゆゆこと、武田真優子です。

 

■深夜夜行バスで、上京しました

 
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 4列シートの夜行バス。隣に人がいたら気を遣うかもと思ったのですが、3列シートよりもむしろ気を遣いません。

 

というのも、今まで乗った数回の経験からですが、3列シートのほうが光や音に敏感な方が多い印象があります。4列シートは外の光も中に漏れますし、真っ暗でないと眠れない方が少ないのかも…?と思いながら、東京駅に着きました。

 

■東京は「飽和している」

 

東京駅付近に降り立って、見渡せばなんでもある状況に感動しつつ(たとえば、マクドナルドがあり、高知県にはない銀行がある)、ある一方で「ああ、飽和している」とそう思った私がいました。

 

●ヒト、ひと、人

 

東京に着いてまず驚いたのは人の多さ。高知県の19倍だもの。当たり前ですよね。と眺めていると、歩くときに体が上下する動きがランダムに起こることで酔ってしまいました。

 

高知は車は多いですが、車は一定の高さで進みますし、多いといっても車保有台数が東京の1/8、比較にもなりません。

 

高知県四万十町十川にあるのは、山と木と四万十川と動物と虫。そして、すこしの人。それらが大部分を占めるのです。

 

 

●モジ、もじ、文字


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東京のある意味暴力的な文字と色の多さに、辟易しました。

 

東京に住んでいる頃から苦手でしたが、その苦手度が、明らかに進みました。

 

 

●モノ、もの、物

 

高知は、たとえると、ないものがありすぎて、あったとしてもひとつ。「ある」「なし」「やる」「やらない」の2択しかないです。

 

東京は、たとえると、10個のものがあり、そこから選ぶ必要がある。選ばれないと残れない。だからこそ、暴力的なまでの情報量につながるのですが…

 

モノがないことにつながりますが、たとえばエレベーターがない、エスカレーターがないので、必然的に階段を使います。体を使う仕事が多いこともあるのか、高知県四万十町十川で見る方々は、体格が良い姿勢がよい方が多いです。逆に、東京の人は、体つきが頼りなく見えました。

 

 

●オト、おと、音

 

高知県四万十町は、川・電車・虫・雨・風、そんな音しかしません。

 

東京は、あらゆるところから、あるゆる音量であらゆる音がして、耳をふさぎたくなります。

 

丁寧な駅のアナウンス、音楽、車の音、人の声。

 

こんな音のあふれる中で、わたしは生活していたのですね。

 

 

■たしかに都会は便利だけれど

 

駅のアナウンスなどが丁寧すぎることで、自分の考える機会を奪っているように感じました。

 

高知県四万十町では、ものがないがゆえに、自分で考えないとならないことが多い。東京で当たり前なことは、高知県では当たり前でないことが多いです。

 

たとえば、山道を歩くとき。足を踏み外せば崖から転げ落ちます。アナウンスは当然、ない。自分の経験で判断して、また経験者から話を聞きながら、自分で覚悟して進まなくては、命が危ないのです。

 

この繰り返しで、「野生の勘」というものが、研ぎ澄まされてきます。

 

高知県四万十町に住んでいるからこそ、今は比較する事ができますが、「そこまで丁寧にしなくても、大の大人だし、自分で調べられるのでは?」と、いうことが多いように感じました。

 

時間短縮には確かになるかもしれない。しかしその分、あれこれと手をさしのべすぎる都会は「自己判断の機会」や「考える力を奪う」。

 

そんなことを考えながら、今日は眠ります。おやすみなさい。